なぜ屋外や自然の中の訓練が必要なのか

AKBANの訓練の方法は、戸外で訓練を行うことに緊密に結びついている。この関係は、日本の多くの武道は戸外から生まれたという歴史的なものであると同時に、武道忍術のベテランはきまって戸外において訓練し、歩き回るという、現代に通じるものでもある。

戸外での訓練無くして、多くの動きや、武道忍術において体が何をするべきかということを理解することはできない。

現場での十分な時間を持たずに、AKBANの武道家になることはできない。

練習用のマットの上だけでは理解することができないというものは、自然での歩行と滞在ということが理解させてくれる。これは、AKBANの指導師とベテランが共に賛成する少ないもの一つである。現場の経験無くして、武道家にはなれない。

忍術を取り入れたこの武道は、昔の日本の自然の中で生まれたものであり、決してスポーツクラブなどから生まれたものではない。われわれはこのことを、歴史の書や、訓練の中の技術から学んだ。以前はあたりまえのようにわかっていた多くのことを、今ではそれを理解するために非常な努力を必要とすることがある。

自然現場で時間をつむということは、すべての国、時代において武道家や戦士を包括する事情であった。人は昔、周囲からの危険にさらされていた。われわれが今、室内の気温を調節し、シャワーを浴びるために水道の蛇口をひねるとき、少し前まではこんなことはなかったということを気に止めなければならない。訓練をしたいと思う武道家は遠くまでの道のりを歩き、戸外で睡眠をとった。われわれが、今、強調する戸外にいるがための有効性は、以前は武道家の当たり前な訓練と理解の場であった。

市街地と人口の少ない地

多くの武道は、人が周囲に多くいる場面で、人と対峙してどのようにコントロールするかということを教える。武道忍術では武道家は町や人の多くいる場というものを学び、また別の環境、木や石、雲、暗闇、歩行をも学ぶ。

イスラエルの戸外の環境は日本のものとは異なる。人々も違い、お茶も異なり、動物や太陽、いろいろなことが異なっている。武道の存在がイスラエルにおいて長年あったため、武道の構成の一部が少しずつ変わってきてるが、その本質は変わらない。われわれは砂漠の泉から水を汲み、情緒ある古いヤカンでお茶を淹れ、クッキーの袋を開ける。武器を運び方はわれわれの歩行方法に適応された、伊賀の村の森に覆われた山でなく砂漠の中の砂埃の中で訓練をつんでいる。これが、われわれが放浪している現場である。

われわれはサバイバルやロマン主義に専念しない。戸外はさらなる自由を味わおうとするための努力を支払う意志を持つ人に適する。